りんごMAGAZINE

【「瓦RECORD」20周年&閉店】“closing for good”りんご音楽祭主催・dj sleeperが振り返る、「瓦RECORD」との20年

2024年6月、20年の歴史に幕を閉じた松本のパーティーハウス「瓦RECORD」。

りんご音楽祭の主催者であるdj sleeperが、信州大学に通う学生の頃に友人同士の溜まり場として松本市に作った「瓦RECORD」。レコードショップ、パーティーハウスと変遷をしながら、20年間さまざまな出会いやシーンを生んできました。

20周年の節目で閉店を選んだ理由や、これまでの歴史、そしてこれからの挑戦について、最後のパーティー「瓦祭」を終えたdj sleeperにロングインタビューを行い、ドキュメンタリームービーとインタビュー全文が本日公開となりました。

りんご音楽祭の原点となった「瓦RECORD」のストーリーを、皆さまぜひご覧ください。

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瓦代表のdj sleeperこと古川陽介です。6月30日に36時間近く続いた『瓦祭二十』まで2ヶ月に及ぶ閉店パーティーが終わり、瓦が「みんなの人生のどこかに濃く存在できたんだろうなぁ」と感じ、人の歴史に関わるの重みと感謝を感じました。瓦は僕の青春の全てでした!やりきりました!本当に20年間ありがとうございました!

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▼ドキュメンタリームービーはりんご音楽祭公式Youtubeから!

「学生の溜まり場」が、20年続くパーティーハウスに

――20年続けた瓦レコードを閉めた今、その実感はありますか?

いやあ、片付けしてて、もっとゆっくり片付けするぐらいの時間が欲しいなって思いましたね。なんか、パーティーの次の日にはもう片付け始めてて。今度はここを宿にするんですけど、大工さんとの打ち合わせで。パーティーが昼の12時半に終わったんすよ、月曜日の。36時間パーティーをして、その2時間半後、15時にもう大工さんとこで打ち合わせしてて、全然その余韻に浸る時間がまだない感じですね。

でもなんか、機材がなくなってみるとちょっと寂しいというか、もうここでパーティーできないなっていう。何もないからね。でも、あんまり実感みたいなのは特にないですね。ここを取り壊すわけでもないんで。場所としては、宿として残すんで、結構前向きな閉店なんで、思ったよりそんなに「瓦無くなるわ」みたいなのはないかな。

――「瓦レコード」をオープンした時は、20年もの間営業することになるとは思っていなかったですか?

全然思ってなかった。学生のときに、学生のたまり場として、みんなで借りたから。学生のとき始めたことってさ、「ちょっとだけやろう」とも思ってないじゃん。何も考えてないから。

――何も考えないで始めたものが20年続く。

だから、何でもみんな始めるのが大事だなっていうのを改めて思います。あんな適当で、適当というか、計画性の無い中始めたものが20年も続いて、俺の子供も遊びに来たり、友達の子供も、遊びに来たり、なんかいろんな出会いがここであったりとかこう見ていると、なんでも始めてみるもんだなっていうのは、つくづく思いましたね。

――改めて、最初にここを始めたきっかけはなんだったんですか?

信州大学の、「社会生活とコミュニケーション」っていう授業の集まりが発端です。それがすごく変な授業で、授業の中で、初めて会った人がどういう人かを本気で当てるゲームをするようなコミュニケーションの授業だったんですよ。

授業で仲良くなりすぎて、週に何回も飲み会をやっていて、それでもう飲み行くのにお金かかるし、何か場所借りたらいいんじゃない?みたいな話が出た時に、教授から、空き家があるって話を聞いたから、見に行ってみるかって。

ここだとちょうど駅と信州大学の間だから、距離的にもいいし、借りてみるかぐらいの感じでね。最初はただみんなで集まって、料理作って飲んでみたいな場所としてしか使ってなかったんだけど、半年ぐらいすると、だんだん集まる人がいなくなるんですよ。

あとここ、すごいボロ家で。前に住んでいた人が、物を捨てられない人で、家中パンパンに物がある状態で亡くなっちゃって、もう廃屋化していて、それを片付けているうちにどんどん友達が減りましたね。片付けの作業が大変すぎて、最初30人いたのに結局5人になって。そのときに、残った人たちで「これからどうする?」みたいな話になって、俺が「レコード屋さんやりたい」と。そこから「瓦レコード」が始まるんです。

それまでは、名前は確かついてなかったけど、何て呼んでたんだっけな。ちょっと覚えてないな。そのときNHKの番組で、「しゃべり場」ってのが流行ってて、「社会生活とコミュニケーション」の授業がきっかけだったから、「社コミ場」だった気がする。

――今はすごく広く見えますが、当時は片付けが大変だったんですね。

最初は、玄関からキッチンに入るだけでも、1ヶ月ぐらい片付けたと思う。奥は、もうひどくて。もともとは瓦工場で、その後はたこ焼き屋さんだったらしくて。結構汚くて、もうゴミ溜めネズミ屋敷だったんですよ。

それを片付けてから、3ヶ月に1回ぐらいは結構大規模な改装して、ようやく今ぐらいの形になったのは15年前ぐらいかな。その頃に大工さんと出会って、大工さんがうちの2階に住むようになったんですよ。そのおかげで、ちゃんとした工事ができるようになって、一気にクオリティが上がった、っていう感じです。

「これは一生ものかもしれない」衝撃を受けた京都のパーティー

――最初にいた仲間が減ってしまったとき、瓦を手放す選択肢はなかったんですか?

いや、あったはず。だけど、なんでだろう、「何かやりたい人いたらこのままやってみよっか」みたいな感じで結局続いて。学生って暇なんで、俺がレコード屋さんとたまにパーティーやる場所として始めたのかな。

それから1年ぐらい経ったときに、京都に遊び行って、ちょっと前にパーティーで一緒になったDJ MEMEZUKAさんが京都の人だったから、出ているパーティーないかなって、京都のメトロっていうところに初めて行ったんだけど、そしたらそのパーティーにくらっちゃって。MAMEZUKAさんの参加してたFANTASIAっていう第2水曜日にやってたパーティーで。

それまでは、こういうDJとかクラブの遊びって若い頃だけの遊びだと思ってたんだけど、「これ一生もんかも」って思って。そこから、瓦レコードを改装して、レコード屋さんからクラブみたいなパーティーができる場所にして。そこから20年はずっとパーティーをやってます。

――DJ自体はいつから?

DJは18歳からやっていました。ダンスミュージックが好きだったんだけど、クラブに行ってみたらクラブが嫌いで。暗すぎる、うるさすぎる、酒が高すぎるし美味しくない。店員さんがやな感じで、座る場所もなくて汚くて、ちょっと休んでたら帰れって言われるし、終わったらすぐ閉じて掃除始めて余韻もないし……。なんなん?って思った。クラブって音楽以外全部いいとこない!みたいに思って。そうじゃない場所を作ろう、居心地が良くて、音も良くて、酒もちゃんと作って、店員さんもいやな奴がいなくて、みたいな。そういうのを目指していました。

最近は結構いいクラブってあるんですけど、俺が瓦レコードを始めた20年前って、クラブって本当にイメージが悪い通りというか、もっと悪かったらしくて。客同士がしょっちゅう喧嘩とかもしてたし、先輩とかがモラハラパワハラもしょっちゅうだし、みたいな。もうそういう想像通りの感じでひどかったんですよ。

「俺が行きたい店がないから作った」はいいけれど、見えてきた大人の事情

――自分が遊びたい店がなかったから、作った。

そう。特に松本には全然なくて。でも、今思えば、生意気だったんじゃないすか。実際にやってみたら大変なんですよ。例えば、居心地良くするとお酒が出ないから売り上げなくて潰れそうになるとか。居心地も良くてお酒も出るってめっちゃむずかしい。

あと、回転しないといけないじゃないですか。だからもう、潰れて1円も売り上げにならない人が場所をいっぱい取るわけですよ。だから、起こされて「帰れ」ってあんなに警備員とかにすげえやな感じで起こされたんだなとかは、その後学ぶことになるんですよ。

でもそのときは20歳とかなんで。いろいろやっていくと、やっぱり大人たちがやっていた、俺が嫌だったことが何で必要だったかもわかってくるんだけど、最初はそんなん知らないから「マジ大人ってださ」ってずっと思ってて。あんなんだったらやめちゃえばいいのにって本当に思ってた。

――でも、いざ居心地のいいお店を作ってみたら、どうしてそうなるのかがわかったと。

うん。高校生のたまり場になっちゃったりね。お金がかからなくて、「帰れ」って言われない場所を探してる人のたまり場になっちゃって。

でも、ここ5年ぐらいはバランスいいんじゃないすかね。マジで売上なくて困ってるとか、そういうのもいろいろ減って。居心地もいいけどちゃんと盛り上がるし、ちゃんと維持できるぐらいの売り上げもあるし、働いてる人にちゃんと給料が出せるぐらいは稼げるようになったかなっていうのはあって。なんていうか、ここでできることやり尽くしたかな、みたいなのも、お店をやめようと思った理由の1個ですね。

――いざ「居心地の良い場所は儲からない」とわかっても、「儲かる方」ではなくて「居心地の良い方」に寄せようとしたんですね。

スタッフに恵まれたのはあるかなと思いますね。初期は、そういう大人の事情を俺はわかってなかった。「売り上げ上げよう」みたいなことをやってくれた人に対してちゃんと対応できてなかったかもしれない。

うちがタダで入れる溜まり場みたいな感じで、全く知らないバックパッカーとかも急に来るんですよ。「なんで知ってんの」って言ったら、公園で困ってたら、「ここ行けば何とかしてくる」って言われたとか。いやそうじゃないと。うちはここで飲んでた人が、寝られるソファーがあるだけで、無料の宿泊所じゃないんだけど、でもそういうふうに広まっちゃったりとか。

高校生が放課後に来て、「sleeperさんお腹減った」とか。「家じゃないから!家帰って」みたいなこと言ったら、「何それ」「せっかく私達が来てあげてるのに」みたいな。もう意味が全然わかんないんだよ。何で一応お店なのに俺がお金払ってあいつらに飯を食わせなきゃいけないんだとか。

もうなんかそういうのがいろいろあって。でも、気持ちは嬉しいじゃん。だから、もうちょいバランス取れないかな?みたいなのをやって、ここ5〜6年は成り立ってたんじゃないかなと思います。
「みんなの困っていること」を解決していくうちに、予期せぬ使い方も増えてきた

――予期せず生まれたイベントや、「パーティー以外でこんな使い方もできるんだ」みたいな出来事はありましたか?

バンドの作曲合宿とかは予想してなかった。あと、10年前ぐらいかな、お風呂だったのをシャワールームに改装するんですよ。それは、うちにたまに来るツアーバンドがあまりにも過酷なツアーをしてるのを知ったからで。要はお風呂も毎日入れなくて、寝床もないから車の中で寝てるとか。そんな風に全国ツアーしてる、まだ売れないバンドとかが結構いて。

中でも「へきれき」っていうバンドがよく来てくれたんですけど、メンバーの1人が女の子なんですよ。めちゃくちゃかわいそうで。そういうのを見て、お風呂だとみんなで入りづらいからシャワールームにしようとか、そうやって来てくれる人が困ってるのをいろいろ見て変えていったら合宿できるようになった。

あと、俺が綺麗な電源にこだわり始めたときから音がすごい良くなって、近くのgive me little moreの新美くんとか、アルバム出来たときにその音で平気かうちの音響で確認しに来たりとか。

昔、CDからデータに移行する時期が10年前ぐらいにあったんですけど、レコード、CD、MP3、音の良いデータ、みたいなのがまだ全部ある状態のときに、それの試聴会を全音源でやったりとか。音が良くなってきてからは、そういう使い方もできるようになった。

あとは、俺に子供ができてからだいぶ変わりましたね。特にさっき言った、「ちゃんと稼がなきゃ」みたいなのは、子供ができてから考えるようになったんですよ。子育てにお金がかかるからってのもあるけど、そこじゃなくて。俺はりんご音楽祭に付随するイベントで全国をずっと回ってて、基本的にそれで生計が成り立ってるんですけど、松本はお金になんないですよ。特に瓦は利益が出る仕組みにしてなくて、利益が出てもほとんどバイトの人件費と出演者のギャラで終わる仕組み。でも、瓦でもうちょっと収益が出ないと、俺が子供といられないんですよ。それが困って、瓦でももうちょっと売り上げを上げるのにはどうしたらいいかなとかも考えたりとかしたのは、子供できてからすごい大きくて。

この間、保育園のイベントの2次会みたいなのを瓦でやったんだけど、子供と親で70人くらい来て。音楽をずっと流しながら、子供が台の上に乗ってずっと踊りまくってて、お母さんはベロベロでそこで潰れてるみたいなのがあって。こんな使い方があったんだなって。保育園の行事で使うなんてちょっと想像してなかったというか。

外向きっていうより、内向きのイベントは結構合うんですよ。プライベートっぽいイベント。保育園のイベントはまさにそうでしたね。外向きだとちょっと親は不安だからあんなにベロベロになれないけど、平気で潰れてましたからね。貸切だからできる。良かったなと思いました。

「居心地のいい空気」を作ってきたスタッフたち

――最後の「瓦祭」も、お子さん連れのお客さんが多かったですね。

あの雰囲気はすごい特殊だし、すごくいいなと俺も思って。こんないいフロアなのに、今日で最後なのか。勿体ないって思いましたよ。他の店じゃ多分ああはならない。安全さとか安心感みたいなのは、普通のお店よりは明らかにあるかなと思いますね。あと、うちのスタッフみんないいやつってのもあると思いますね。

――瓦のスタッフはどうやって採用してきたんですか?

もう瓦に遊びに来た人に、「スタッフやんない?」ってひたすら言い続けてるだけかな。普通に求人とか出したことない。

――もともとお客さんで、いい感じの人。

そうですね。残ってる人は本当にみんないいやつばっかりで。俺が結構ひどいんで、いい人しか付き合ってくれないんですよ。だから、りんご音楽祭のチームもそうだけど、俺はひどいけど、俺の周りは全員いい人だから平気だよって。俺と直接仕事しなければ、みたいな。みんないい人だから。変なやつはいっぱいいるけど、みんな基本やなやつじゃないんで。多分そういうのも、保育園のお母さん方に安心感を与えたんじゃないかな。

いやな奴がいないかって、大事だと思うんですよ。いい人がいっぱいいるより。いい人が100人くらいいても、1人嫌な奴いるとちょっと緊張感が出ちゃう。安心できない。いやなやつ来るななんて言ってないんだけどね。あんまり来なくなるんですよね。

スタッフには、何かいやなことやってるやつがいたら、極力「だっさ」って顔で見て、何も言っちゃ駄目だから、って言ってた。「だっさこいつ、何その口説き方」みたいな目線で見るだけでいいからって。特に女の子にね。大体ダサいの男なんで。やっぱりおじさんとかは、若い女の子にそういう顔で見られると居心地悪くなって帰るんですよ。「ちょっとお客さんそういうの困ります」とか言うと揉めるんで、何も言わなくていいからって。商売的には、そういうださい人にもいっぱい来てもらわないときついんだけどね、このサイズなんで。

でも、ここの店は、もう儲からない仕組みにしてるからいいんですよ。この空間は、とにかく理想主義というか、居心地がいい場所にしたかった。もう割と序盤から、多少は我慢しても、儲かるとかってよりは儲からなくていいからやりたいこととかいいと思うことをするのを、後半は意識してそうしてました。前半はよくわかってなかったんで。要はお金なくても生きていけたから。でもやっぱり30歳ぐらいになってくると、やりたいことがお金かかることばっかなんですよ。「どうしよう」って思ったときに、「いや、もうここはいいかな。瓦以外で稼げてるし」みたいな。子供ができるまではそんな感じだったかな。

「靴を脱いで入る」ことも瓦の大切なアイデンティティ

――迷った時期もありましたか?

うん。「儲からない人ばっか相手にしてるけど、いいのかなこれで」みたいな。あとちゃんと売り上げ上げてくれる人たちに申し訳ないなとか。その人たちよりも、ここを好き勝手使ってる人が全然お金を落としてくれなくて、ちゃんとお金を落としてくれるお客さんたちとかは、綺麗にサクッと帰ってくれるとか……。

そういう時期もあったけど、10年前ぐらいからは、「いや、瓦はいいや」って考えはした。未だに靴で入れないのもそうやって考えてきたことの1つで。やっぱり、靴で入れるようにしようっていう話は何回も昔から出てて。

――へえ、そうだったんですね。

ファッションの一部でもあるし、リスクもあるじゃん。特に最近とかスニーカー流行ってるから、お気に入りの靴で来れないっていうのが、ちょっといやで。俺もすごく靴好きだから。あと何か自分の家でもないのに靴脱ぐのに抵抗ある人ってやっぱいるんですよ。

度々その話になったけど、結局考えた結果、貴重な個性だと思って。やっぱり他のお店とか他のスペースと、違う何かって、何でも大事なんですよ。ここは靴脱いで上がるっていうのをもう10年ぐらいやったから、それが特徴になっちゃってるから。だったら、靴脱いで上がれる中の頂点目指した方が面白いんじゃないかなって考えて。

――たしかに、入り口で靴を脱ぐ感じが「瓦らしさ」ではありましたね。

最終的にはこういう空間にはなったけど、最初の10年とかは考えてなかった。いろんなことがわからないままずっと来て。

あとやっぱ、瓦で起きてる現象からいっぱい検証して、次の店に生かそうと思ってて。「なんで瓦は居心地がいいんだろう?」みたいなのをすごく考えたりとかして。「音が鳴ってて、ドアとか壁がないのに、カウンターで普通に会話ができたりするのはなんでだろう?」とか。音の特性の分析も瓦から学んで、次の店に生かそうと。

――たとえばどんな分析結果が?

瓦の居心地の良さに、例えば喋りやすいってのが結構あると思うんですよ。こういう音が鳴ってる場所にしたらそれはすごく珍しくて。ライブハウスとか行ったらわかると思うんですけど、全然喋れないじゃないすか。それは何でかっていうと、うちの音の良さ。音がいいっていうのは要は、眼鏡で考えてるとわかりやすいんだけど、ちゃんと拭いてある眼鏡と、曇った眼鏡の違い。曇ってると、ストレスだし見えないでしょ。瓦はノイズが少ないんですよ。

もう1個は、日本家屋の天井の低さと梁。上に壁とか梁があると、ちょうど喋る音がここでカットされるってことがわかったんですよ。瓦は、フロアからカウンターまで梁が3つある。これが喋りやすさのかなりの部分を担っているなっていうのもわかった。でも、そんな店ってなかなかなくて。だから、次の店もカウンターの手前に梁を作る予定です。喋りやすい場所って居心地いいんじゃないですか。

――日本家屋独特の作りが、意外とパーティーにフィットしていた。

あとお酒とかも、超一流ってわけじゃないけど、うち氷を全部買ってるんですよ。製氷機じゃなくて。それも結構影響してて。同じものを作っても、全然味が違う。グラスを使ってるし。あと、灰皿に灰が溜まってるとか、机が汚れてるとか、嫌いなんですよ。ずっと掃除してます。トイレ掃除も1時間に1回やってるんですよ。そんなクラブは多分なくて。

結構こういうパーティーの場とか酒の場って、店員さんとかも、「いいだろ、ほっとけ」みたいな空気になる居酒屋が多いじゃないすか。でもそれだと、いくら酔っ払ってても居心地悪いもん。あと机にグラスとかいっぱいあると、倒して割れたりするんですよ。その瞬間にもうお開きになっちゃうというか。1個グラスが割れるだけで1回リセットかかっちゃう。そういう居心地悪いことが嫌いだからこそ、比較的居心地がいい空間になってるんじゃないかな。

――瓦独特の「居心地の良さ」はそうやって作られてきたんですね。

良い悪いは別として、「ここはこういう場所である」っていうオーラがもう場所に出てる。長くやってると違うなっていうのはすごく思いますね。やっぱり、どんだけいい感じの店でも、出来たてだとそんな安心感は出ないというか。「かっこいい店だな」とか「これすごいな」とか、そういうのあっても、「何か居心地がいい」っていうところになるまでは結構かかる気がするな。家でもそうだもんね。だって、引っ越したてのいい部屋で居心地いいって思わないよね。どんだけいい部屋でも、数ヶ月はかかるもんね。

それでも、そこの空気感みたいな部分はスタッフによってだいぶ違うと思う。結局「人」なんで。スタッフが誰かによって、来るお客さんも変わるし、雰囲気も変わってくる。俺は運がいいので、比較的良いスタッフが多くて。

「みんながいいパーティーをできるハコ」を作りたくなった

――瓦のパーティーは、sleeperさんやスタッフの企画と、外からの持ち込みの割合はどれくらいだったんですか?

比較的ほとんどのハコは、誰かやりたい人がいて、持ち込みで企画することが多いと思うんですけど、うちはほとんど俺が組んでいました。なんか、混ぜるのが好きで。でも、近年は「人がやってるイベントって面白いな」みたいなことがすごい増えてきて。

特に20歳ぐらいの子がやってるパーティーとか、クオリティどうこうは置いといて、「これ絶対自分じゃしないな」みたいなとこあるから面白い。いろんなパーティーがあった方が、ハコとして面白い。だから、俺がやるパーティーが良い悪いとか、その子のパーティーが良い悪いじゃなくて、いろんなパーティーあった方がいいなって思うんで、昔よりは全然持ち込みのイベントを楽しめるようにはなってるし、それの良さをもっとハコとしてどうサポートできるか、みたいなのも近年はすごく考えてやってるかなと思います。そういう気持ちが結構大きくなってきたってのもここを辞める理由にもなってる。

――改めて、瓦を閉めると決めた理由をお聞きしたいです。

ここを辞める理由っていうか、駅前でやりたいって思ったのはそういう気持ちも大きい。まず、自分主催のパーティーを減らしたくて。やっぱり明らかに体力が減ってるんですよ。前だったらもっと企画できていたけど、今はやっぱり月に5本ぐらいじゃないとクオリティが保てない。子供とも一緒にいたいし。それから、他の人が主体のパーティーをサポートするのが面白くなってきた。

そう考えると、瓦って正直俺以外の人がパーティーをやりやすい状況ではないんですよ。俺しか使いこなせないです、このハコは。ちょっと特殊過ぎてね。作りを俺が熟知しすぎて、「こういう音を鳴らすとここでこういう音が鳴る」「こういう現象が起きる」とか、全部熟知しているんですけど、そんなの難しすぎる。

持ち込みのイベントがもっと増えたら面白いな、と思ったのも含めて、駅前でハコをやった方が、みんながイベントをやりやすいしなと考えたのも大きいですね。

――瓦をやめたい、というよりは、違うことがしたくなったと。

両方はできないなっていうのもある。宿をやりたいってずっと思ってたんで、やるなら瓦の場所は悪くないんですよ。ただ、やっぱり人を集める場所としては、瓦はちょっとハードルが高すぎる。若い子が頑張って主催したイベントが、思ったより人が来ないときとか本当に申し訳なくて。ここの場所の遠さが明らかに集客に影響してるのはわかるんで。最後の100メートル、墓だからね。さすがにちょっとハードル高いよ。ここから100メートル先に、裏町ってところがあるんだけど、昔はすごく栄えていたけど今は寂れてる。ここより駅に近いのに寂れてるんだから、ここはめちゃめちゃハードル高いんですよ。よく20年も成り立ったなっていうのは正直思いますね。

今思うと、こんなにハードル高いハコは日本中を探してもなかなかないと思う。ど田舎で、みんなが車で来て、いわゆるキャンプ場とかでパーティーとかやるのは、それはそれで良さがあるじゃん。ここは、一応街中だけど駅から遠いし、最後の100メーターは墓だし、周りに店が何もないし、コンビニさえないからね。住宅街だから苦情とか考えても、明らかにやりづらい。

コロナ禍よりもつらかったコロナ後で踏ん切りがついた

――住宅街となると、どうしても周りへの配慮は必要になりますね。

あとはコロナがあってからは、世の中がすごく繊細になって、それのおかげで昔より苦情が増えたんですよ。コロナの時期で、いよいよここでやるのは限界かなと思ったのも一つの理由ではありますね。俺は慣れてんだけど、スタッフの子が苦情にビビっちゃって。うちはコロナ中も休まずやってたのでそれもあって苦情が増えてね。

いろんな複合的な理由があって、20周年の日ぴったりで終わるのがいいなって思ったんですよ。カレンダーもめっちゃ綺麗で、俺の誕生日当日に、最終土日がはまるっていう。数年に1回しかないタイミングで。最初は1月ぐらいにやめようかなと思ったんだけど、1月に予約が入ってきて、どうしようと思って一応6月のカレンダー見たら綺麗すぎて。この日までやれってことだなって、6月末で辞めるって決めた。辞めるってのは薄々決めてたんだけど、最後はやっぱカレンダーの綺麗さが決め手。

――コロナはやっぱりきつかったですか。

正直本当にきつくて。コロナの後の方がきつかったんですよ。なんか世の中は元に戻ったけど、この業界っていうか、夜中に遊ぶ業界の人が明らかに減った。特に、同年代がもうほとんど来なくなったんですよ。だから、モチベーションをキープするのが結構きつくて。

コロナ中、瓦はやれる範囲でずっとやってて、結構盛り上げたんですよ。すごい感謝もされたし。でも、いざコロナが終わってみると、しれっと世の中普通に戻って。何かあんときのことはなかったことみたいになったというか。いや、忘れたい出来事であったけど、なんかそれも結構きつくて。

なんていうか、あんとき頑張ってパーティーやってたみんなとは、その後も一緒にやれたらよかったなとか思ってます。コロナが終わったら、「はい、終わったね」みたいな……。あんな熱い感じだったのに、結構しれっと元に戻る、みたいなのもちょっときつかったかな。

だから、リセットをしたかったっていうのもあるかな。髪型を変えたのもそう。同い歳のマサくんって友達に、「今年そうやっていろいろ変えるのはいいことだよ」って言われて。厄年か何かでね。

――店も辞めて、髪型も変えて。

やれることをやりきった。やりすぎたんじゃない? やりきりすぎた気がする。この家もびっくりしてると思います。もしこの家に人格があったら、「ここまでやるんかお前」みたいな。やりきったと思うね。ここでできることは。

瓦祭終わって、俺は4時半ぐらいに寝たんだよね。それで9時ぐらいに起きてきたら、パーテイーが続いてて。もうみんないなくなってるだろうと思うじゃん。俺は「もう終わり」って電源も切ってるのに、誰かがしれっと電源入れてまた始まってたらしくて。その時に、もう「俺にできることはもう全部やったわ」って思いましたね。

俺の人生で一番いいパーティーだった。もし自分に子供がいなかったら、「もう死んでも悔いなし」って感じかな。本当に。子供が20歳になるぐらいまでは生きないとなとは思うけどね。最後の瓦祭は、俺の生前葬をやったみたいな感じ。

閉店するからこそ溢れてきたエモーショナルな瞬間

――本当に閉じてよかったのかな、みたいな葛藤はなかったですか?

全然ない。勿体ないとは思ったよ。保育園のパーティーのときもそうだし、最後の瓦祭の時も、こんなにいい空間はそうそう作れないのにもったいないなって。でも、それは全て瓦がなくなるっていうみんなのエモーショナルがあってこそだったんだと思うんですよ。

ちなみに保育園のイベントも、瓦がなくなるってのがあったから、「ずっと気になってたから最後そこでイベントをやってみましょう」って実現したから。4月末のゴールデンウィークから2ヶ月間閉店イベントをやってたから、その間に「もったいない」って瞬間はいっぱいあったけど、なくなるからのエモさが作用してるからって考えるとスペシャルな2ヶ月だった。それはお店としては当てにできないというか、続けていればこれがずっと続いたかもってことはないんだなって。

本当に、年に数回しかないようないい瞬間がここ2ヶ月に凝縮されたんだよね。やっぱり、長く続けたお店が閉店するってことで、みんなのエモーショナルってすごいものがあって。

――想像していたよりも大きいパワーがありましたか?

俺の想像よりも全然大きかった。ここで出会って結婚したやつもいるし、昔遊んでたやつの子供が大きくなってDJしてるとか。なんかいろんなストーリーがあるんで、そういうのはそれぞれみんな感じてくれて、そういう気持ちの力が大きかったと思う。

あれが簡単にできるなんて思ってない。だから、閉めちゃうのはいやだなというか、逆に閉めたからこそあの期間が2ヶ月もあった。やっぱりこういう地方都市だと、最高のパーティーの瞬間ってなかなか頻繁にないんですよ。それが、この2ヶ月間瓦に通った人はいっぱい経験できたから、パーティーってものへの印象も良くなったと思うんですよ。「パーティーにまた行きたいな」とか、「やってみたいな」って人も、瓦の影響で明らかに増えたと思う。そういうことができたのは、街として良かったなとは思ってます。

みんなの人生のどこかに、「瓦RECORD」が色濃く存在しているという力

――最後のパーティー期間での出来事は、次の店にもつながりそうですね。

比較的いい辞め方ができたなと自分では思ってますね。次に繋げようと思っていろいろ計画したので。それにしても、想像よりも自分としてはエモーショナルな瞬間が多かった。「1年に1回くらいしか来ないのに、そんなにエモくなる!?」みたいな(笑)。「だったらもっと来いよ!」って。

でも、そういうことなんですよ。だから閉店するんですよ。いや、全然ありがたいけど。俺はすぐ行動するタイプなので、来ないってことは感情がそんなに無いんだって勝手に思っちゃうんですよね。会いたかったら、会えばいいし、行きたかったら行けばいいじゃん。遠距離で3時間電話してるカップルとかさ、3時間あれば会いにいけるだろって思っちゃうの。

だから、瓦にあんまり来ていないけど、瓦に対する気持ちを持っている人たちが、あんなにいることは想定していなかった。最後の瓦祭の出演者を、ほぼレギュラーDJとスタッフだけで組んだのは、「今いる人が今のここを好きな人たちだから」って勝手に思ってたんだけど、なんかそうでもないというか。

でも、みんなの人生のどこかに濃く存在できたんだろうなって思うし、そういった気持ちがあっても、足を運ぶのはハードルが高いんだなっていうのも思いましたね。でも、足を運ぶきっかけを作れたのも良かったなと。本当に、20年ぶりとかに来たやついたからね。俺の大学生のときの友達とか。大学のときに一回来たぐらいだけど、「閉店するならちょっと行くわ」って、3時間ぐらいかけて来てくれて。マジか、閉店ってすげえ、20年ぶりに人が来た!みたいな。

うん、なんかちゃんとやれてよかったなと思います。ちゃんと計画的に2ヶ月閉店イベントをしたおかげで、閉店するってことが行き届いた。そのおかげで、ちゃんとそういう気持ちはあるけどなかなか来れてなかった人たちにも来てもらえた。やっぱり、会うと全然違うから。

人生のどこかに色濃く瓦がある、みたいなのは、自分が知らないところでも、瓦のいろんなストーリーがあるんだろうな。俺、そういうの好きなんで。りんご音楽祭でも「それぞれのパーティー」ポスターを作ったし、同じことが起きてるけど、捉え方は違うし、上がってるやつもいればバッドに入ってるやつもいる。そういうのを全部面白いなと思ってるし、それがパーティー。

あとちょっと寂しいのが、「多分こいつはもう俺のパーティーに来ない」って思った瞬間があったこと。要は、「瓦の閉店だから来てくれたけど、次の店には来ないだろうな。こいつとパーティーで会うのはこれが最後かも」って。それはなんか寂しかったな。瓦を介して出会った人たちとの区切りは、あの日についた。だから、今後多分もう会わない人もいっぱい来たんだろうなって思ってる。いや、俺は会いたいけど、多分もう来ない人たちも、半分ぐらいいるんだろうな、みたいなことは思った。やっぱこういう遊び方をする同世代はどんどん減ってるし、さらに減るのは間違いないって瓦の閉店ですごく感じた。

だから、瓦をどうこうっていうか、比較的ずっと未来のことを考えてるんで、お店のことを考えなかったら多分辞められなかった気もする。だから、自分にとってもすごく良かったと思いますね。綺麗に辞められた気がする。区切りも良かったし、日も良かったし、みんなに会えたし、トラブルもなかったはず。俺が知る限り。

メインが盛り上がらないと、サブカルチャーは盛り上がらない。駅前での新しい挑戦へ

――ひとつの区切りになったと。

コロナもあって、同世代とか、30歳以上の人がこういうパーティーとか飲みの場に来るのは減ったんですよ。それはうちだけじゃなく、全国的に。でも、逆に言うと、面倒くさいおっさんがいないから居心地いいみたいなのもあって。特に渋谷は、それで一時代を築いてる。俺が見る限り、過去最高にいい状態なんですよ。コロナ後から、金を持った脂ぎったおっさんがモデル抱えてクラブに来る、みたいなことがなくなった。本当に、ああいう面倒くさいおっさんがパーティーにいないって、若い子にとっては最高なんで。

若い子はすごく元気だし、あと今は結構ハードな時代だけど、そういうのは若い子あんまり気にしてないから。このハードな時代を楽しくしていくには、気にしてない人が必要なんですよ。最近の瓦には、そういう子たちがよく来てくれるんだけど、「駅前とかでやってるパーティーだとちょっと違うな」ってこっちに来てくれるんだけど、瓦だとちょっと足りないっぽくて。もうちょっとアゲアゲな感じというか、もうちょっと駅前っぽさが欲しいみたいで。それで、若い子に「駅前でやらないんですか?」みたいなことを何回か言われていて。

実際それはやりたいし、やるべきだなと思った。あと、瓦はあくまでサブカルチャーなんですけど、サブってことはメインがあってこそなんすよ。でも、コロナでメインがなかなか盛り上がらなくなったっていうのも大きいですね。サブカルやってる場合じゃないというか。

――メインを盛り上げていかないといけない。

あと、give me little moreがあるのも大きいですね。サブカル的なハコが、瓦の近くにある。元々うちのスタッフだし、やってることも面白いから、こんなちっちゃな街にサブカルがこんなにあってもバランス良くないなと。だって駅前がそんなに盛り上がってないから。バランスとして、やっぱり駅前が盛り上がってないと、なかなか面白いのが出てこない。

だから駅前を盛り上げたくて。もうね、ここでやりたいこと全部やったんでね。だから、寂しさとかもないんですよ。やり残したことがほとんどなくて。20年ぐらいやったし。あとやっぱここだけじゃやれないこともいっぱいある。

松本に遊びにきた人と、松本で音楽をしている人たちがクロスする場を作る

――たとえばどんなことが?

やっぱり住宅街にあることが大きい。パーティーのときとかさ、外が涼しかったら外でたむろしたいじゃん。うちだと本当にすぐ警察が来るんですよ。「どいてください」って毎回やんなきゃいけない。それもいやだし、もうちょっとストレスのない場所でやりたいなっていうのはある。そのストレスがなければ、やれることが増えるだろうし。

あとね、松本は観光客がすごく多いんだけど、観光客が遊びに行ける音楽スポットが見つからないらしくて。駅前の店は、どこも情報発信をしていないし、わかりやすいスポットがない。フラフラ歩いてて、見つけられるハコってあんまりなくて。でも、パーティーをやってるはやってるんですよ。

だから、せっかく松本に遊び来てくれた人たちが、松本で音楽をやってる人とクロスする店をやりたいなって思ってて。それだとやっぱり駅前だし。ここはやっぱりさすがに見つけづらすぎて。旅行の人からしたらちょっと遠いんだよね。

――街の中を盛り上げて、かつ外から来た人と街の人が混ざる作用を生む場所を作ろうと。

パーティーを長年やっていて、「いいパーティーになる条件」っていうのがね、まず間違いなく、「半分くらい知らない人がいること」なんだよ。要は、ほとんど知ってる人の身内のパーティーってそこまで盛り上がらないんだよね。

内輪ばっかだと居心地がいいんだけど、「すっぴんで行ってもいいかな」ぐらいの感じになるわけ、空気的に。

――気合いが入らないわけですね。

そう。すっぴん見せられないぐらいの緊張感がないといけない。そのためには、半分ぐらい知らない人がいるってのは結構重要な条件で。そうなったときに、やっぱり瓦は難しい。それに、それを松本で実現するには旅行客が遊びに来る店をやるしかないんですよ。絶対的に、地元の人で遊ぶ人が少ないから。音楽好きな観光客が、松本に来たらまず行く、みたいな店ができて、常連さんも集まってきたら、いいパーティーができる。パーティーを主催してる人がどんだけ頑張ってもできないことってある。いい感じになる確率条件を、なるべくお店側が整えてあげた状態の方が全員にとっていいからね。

それから、観光客が遊びたがってるらしくてそういう場所を探してるってのはよく聞くんだよね。気軽にいける場所がないんだよね。平日とかやってる店ってあんまりないし。だから平日もやろうと思ってて。

――外の人が来て、松本の人もいて。

うん。やっぱり常連さんに来てもらうっていうのは必須というか、常連さんがいなかったら成り立たないちっちゃい街だから。でも、常連さんたちに取っても知らない人がいる方が、明らかに楽しそうなんだよね。出会いの場でもあるから、こういう場所って。

小さい街だと、もう出会い尽くしてるからさ。みんな知り合いみたいな。なんか仲良くなって楽しいみたいな作用もあるから、こういう遊びの場って。でも、松本のパーティーだとなかなかそれが起きなくて。そういうのを求めてる人はちょっと寂しそうなのをよく見てるんで。だから、観光客とか知らない人がいっぱい来た方がみんなにとって盛り上がるからいいかなと思います。

――前向きな出発ですね。

次の店を始めてから、うまくいかないみたいなときに瓦を思い出す日がまた来る気がする。今はまだ店ができてないし、楽観的観測で進んでるから全然落ちてないけど。「あんなに愛されたお店を惜しまれて辞めたのに、これかぁ」みたいな時期が絶対来るわけじゃん。次は、そこをどう乗り切るかだろうなって考えています。いやだな〜、来ないで欲しいな〜。

みんなが「瓦RECORD」を忘れるくらい、いい店を作りたい

――期待と不安でいっぱいですね。

こういうのは初めての経験で。要は、やりたくなくなったりとか、成り立たなくなって辞めたことって今まであるけど、そうじゃなくて何かを辞めたことってなくて。やりたいことだし成り立ってることを、わざわざやめるのが初めてで、それがどう自分に作用するかちょっとわかってないんだよ。

――たしかに、なかなかないことですね。

だから、自分でもまだわかってない。次の店でなにかうまくいかなかったときに、「瓦辞めたのにこれか」って必ず思うわけじゃん。それを自分の中でどう処理できるのかわかってない。その不安はあるね。

だって、「新しい店がうまくいかなかったから、もう一回瓦をやろう!」と思ったってできないわけです。でも、ワンチャン駅前の店ができなかったら何もなくなるけどね。わざわざ成り立っている場を辞めて、なにプータローになってるんだよみたいな状況になりかねない。その恐怖はある。やることなくなって、子供に「パパなんで瓦やめたの?」とか言われて、「なんでだろうね」みたいな。そうなったらいやだな。頑張って次の店を作らないと、「何で瓦辞めたの?」ってなるからね。次の店は、みんなに早く瓦のことを忘れてもらうぐらいにしたい。最初はね、20年もやった店より居心地いいわけないだろって思うだろうし、そういうことを言われたら多分傷つくと思う。

でも、俺は沖縄でお店やってたことがあるんだけど、別の人に引き継いだのね。それで、俺がやってた店だって知らない人が「沖縄にすごくいい店」があるんですよって話してきたりするわけ。地方都市の面白いのは、歴史がすごい続いてくことなんですよ、「お父さんが瓦で遊んでた」みたいな子が、うちでDJするようになる。それは面白いっすよね。20年やってると、子供が成人するからね。うちのスタッフとか、レギュラーDJの親が昔実は来てたとか全然あって、そういうのが面白い。面白いっていうか、独特の経験。やっぱ場所を長く続けることでしか起きない現象がある。それを経験できるのは面白いので、次の店もいい感じになれば。

――新しいストーリーが続いていくのが楽しみですね。

10年ぐらいでやり切れたはずだけど。何も知らない20歳の頃からやってたから、20年かかった。最初の10年とか、「本当に店だったのか?」っていうレベルだね。スタッフの保険にもちゃんと入れるような場所になるとは思いませんでしたよ。

次の店は駅前だし、こんなにゆったりできないだろうから「10年かかっちゃった」みたいなことは言っていられない。シンプルに、家賃とか経費が高いから、5年で結果が出なかったらもう続けられない。駅前で長く続けているお店は本当にすごいなと思う。「長くやる」っていう面白さは瓦でやったので、次は短期集中型の面白さもやってみたいなって思っています。

うまくいけば、短期間で街の雰囲気が変わった、みたいなことが体感できるはず。瓦だと、自分がした事が街に及ぼした影響は体感しづらかった。「うちのおかげ、なのか?」みたいなね。

駅前の雰囲気が変わると、やっぱり街の活気が変わる。瓦の最後の2ヶ月みたいな状態が、駅前でもしできたらすごいことが起きると思うよ。シンプルに、街の酒の売り上げがめっちゃ増えるだろうし、夜出歩く人もめっちゃ増えると思うし。

――新しいお店がきっかけに、松本の街がどう変わっていくかが楽しみですね。最後に、20年間一緒にやってきた「瓦RECORD」を人に例えるとどんな人物だったと思いますか?

人に例えると……、パートナーとしては最高でしたね。すっげえ最悪なことを起こした日も、瓦は変わらず静かに寝床として黙って支えてくれた。最高のパートナーだったんじゃないですかね。どんなやつって言われたらあれですけど、こんな文句言わないやついないじゃないかな。何をしても受け入れてくれた。嫌がっていたのかもしんないけど、嫌がっていたら最後の2ヶ月はこんないい空気にならなかったんじゃないかな。とりあえず何でも受け入れてくれる最高のパートナーでした。

――そんなパートナーに一言お願いします。

いやぁ、これからもよろしくね。次は宿ですよ。建物的には、静かになるけど。毎日稼働するから忙しくなるよ!

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