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2018.10.05TALK

100枚の写真と共に振り返る「りんご音楽祭2018」オフィシャルレポート(Text by 磯部涼)

 〝音楽がなる場所〟というタイトルだけ思い付いたまま、ずっと書きあぐねている文章がある。〝なる〟には、もちろん〝鳴る〟という漢字があてられるし、同時に〝生る〟や〝成る〟というニュアンスも込めている。その時、その場所で、そのことをふと思い出した。
 会場の中で最も高い場所にあるステージでは一十三十一が歌っていて、広場を埋め尽くした1000人ほどの観客はうっとりと聴き惚れていた。午前中まで降っていた雨も止み、気持ちのいい秋の夕暮れだった。しかし、最近は音楽に興味を持ち始めているけれど、まだ歩き回る方が楽しい3歳の娘に引っ張られて、渋々、広場の端から降りて行ける踊り場に出ると、微かに聴こえるシティ・ポップをBGMに、夕焼けに染まった松本市街を見渡すという、それはそれで贅沢な体験が出来た。
 ひと息ついたのも束の間、娘は勢いよくさらに降りて行く。慌てて追いかけたところ、長い階段の下のブースでは先程と一転、LEF!!!CREW!!!がモジュラー・シンセサイザーでハードなビートを鳴らし、フロアがもみくちゃになっている。
 りんごジュースを買って御機嫌になった娘と、また別のルートから、たくさんの人たちに混ざって上る。今度は、タイムテーブルからするとクボタタケシがかけているのだろう、甘くてせつない、しかし軽やかなルーツ・レゲエが響いてきた。ホレス・アンディの「ユニティ、ラヴ・アンド・ストレングス」だ。
 「団結し、結束し、愛し合おう/無責任だと言われるかもしれないが/あなたの腕の中にわたしたちを迎え入れて/毎日祈り続けるから、わたしたちのそばにいて」
 筆者はその時、その曲に、通り過ぎたばかりの別のブースで演奏されている曲と、娘が歌う関係のない歌と、人々の楽しそうな会話とが混ざり合う様子を聴きながら、音楽が〝なって〟いく瞬間を感じていた。

 長野県松本市の山中に広大な敷地を構えるアルプス公園で、基本的には毎年秋に行われれてきた<りんご音楽祭>は今年で10年目を迎えた。
 初回は09年。主催者で、信州大学に入学したことで同地に住み始めたというdj sleeperこと古川陽介を知ったのは、それよりも前のこと。彼は00年代中頃、筆者が〝音楽がなる場所〟としての東京の小さなクラブやバーで毎日のように遊んだり、DJをやっていた時期、ちょくちょく出会すアクが強いが憎めない感じの若者だった。大阪や京都のそのような場所にも頻繁に足を運んでいた、当時で言うところの〝パーティ・ピープル〟という――そこには今で言うところの〝パリピ〟よりもオーセンティックなニュアンスが込められていた――やつだ。
 また、彼は既に同時期に、現在も続いている<瓦RECORD>という、古民家を改造した店を運営していて、筆者がイベントを一緒にやっていたSHIRO THE GOODMANとふたりでDJをオファーされたこともあった。その時も、sleeperが様々な場所で得た経験とコネクションを糧に始めた初期の<りんご音楽祭>も、如何にも手づくりのスペースだなと感じたことを覚えている。〝生(な)って〟はいたが、まだ〝成(な)って〟はいなかったというか。
 それが、今回、久し振りに訪れた<りんご音楽祭>はすっかりちゃんとした〝フェス〟になっていたのだ。ずっと通っている人は何を今更と思うかもしれないが、完成度が格段に上がったと感じられた一方で、客には20代の若者が多く、若々しい雰囲気もある。また、山の斜面に沿って伸びる名物の滑り台を始め、遊具の充実した公園という立地は自分たちのような親子連れにはありがたい。
 そんな、<りんご音楽祭>を地元のみならず、音楽好きにとっての秋の恒例行事にまで押し上げたsleeperには、NHKの取材が張り付いていて、会場で出会した時、昔のようにドリンク・チケットをせびろうと思ったが、カメラがこちらに向けられているので、「いやー、いいフェスじゃない」とかなんとか、当たり障りのないことを言ってしまったのだった。

 <りんご音楽祭>には、筆者とsleeperが知り合った――そして、近年、やはりあまり聞かなくなった言葉であるところの――〝アンダーグラウンド〟な場所の雰囲気が残っているようにも思う。
 2日目の午後、今やテレビ・タレントとして有名になったモーリー・ロバートソンがブレイクコアをかけているブースを通り過ぎ、竹の子族リヴァイヴァルを企てているというケケノコ族が「YMCA」で踊っている様子を遠目に、CRZKNYのブースに辿り着くと、たまたま「ライディーン」のハードコア・ヴァージョンが鳴り響いてモッシュが起こっていたのだが、その音を浴びながらPART2STYLE SOUNDのMaLと話していたら、彼も「<りんご音楽祭>は日本のアーティストが中心なのに有名人に頼っていないところ、それでいて若い客が集まっているのがいい」と言う。
 そう言えば、朝方、DJ HIKARUが確かRITTOをかけていた時、「あ、このDJのひと、ヤバいんだよ!」と、恐らくHIKARUの名前もちゃんとは知らない若者たちがフロアに駆け込んできた。その、いわゆるアンダーグラウンドが陥りがちな閉塞感とは無縁の雰囲気はとても好ましく思えた。

 もしくは、アンダーグラウンドと同じように〝オルタナティヴ〟という言葉も使われることが少なくなったが、2011年の震災をきっかけとして東京一極集中が批判され、オルタナティヴな場所として地方の可能性が見出された時、改めて注目を集めたのが長野県だった。
 結局、東京の人口は増加傾向を保っており、そういったことはまるでなかったかのようにされているが、いや、それでも日本の文化的地図は少しは書き変えられたのではないか。実際、震災以降、長野に帰省したり移住した知人は多くて、例えば、今年の<りんご音楽祭>で筆者が司会を受け持ったトーク・コーナーを企画した雑誌『SPECTATOR』の編集部がそうである。
 もともと、民芸運動の拠点のひとつであり、戦災を免れた松本市では文化的伝統が継続していて、今回の旅行でもたまたま入った<栞日>という古い商店をリノベートした喫茶店/書店の雰囲気と、そこで買った、同店が制作した『アルプスごはんのつくり方』というリトルプレスからは、新しい文化運動の胎動のようなものが感じられた。もちろん、<りんご音楽祭>もそうだろう。

 <りんご音楽祭>の特徴はローカリズムを掲げながら、様々なローカルを結び付けようとしているところにもある。
 沖縄の那覇市もまた、近年、音楽関係の移住者が多い土地だが、14年、農連市場の近くでコールドプレス・ジュース専門店<ON OFF YES NO>を構えたラッパー/プロデューサーのS̸(ex.SOCCERBOY)に、新しい店を中心に案内してもらった時も、街が変わろうとしている様子に興奮したものだ。
 那覇の美栄橋地区ではsleeperも<on>というミュージック・バーを経営しており、今回の<りんご音楽祭>では、横浜から移住して同店の店長を務めているLEF!!!CREW!!!のWSZ80や、国際通りのクラブ<熱血社交場>で<Ku’Damm>というイベントを主催しているDJ KIMが同地のアーティストや店舗を招聘していた。KIMはトーク・ブースで、差し迫った、沖縄知事選について話してもいた。
 僕が司会を担当したトーク・コーナーで、『SPECTATOR』2011年秋冬号の特集「これからの日本について語ろう」を、再度、テーマとして水曜日のカンパネラのコムアイと話した時、彼女はアメリカと日本のライヴにおけるフロアの雰囲気の違いについて触れながら、ライヴの場所が社会性を反映するのではないかという仮説を立てていた。もしくは、その場所を改善することは、ひいては社会を改善することに繋がるのではないかと。
 では、〝音楽がなる場所〟としての<りんご音楽祭>はどうだろうか。2日目の夜、家族との待ち合わせ場所に向う途中、現代のオルタナティヴを体現するようなゆるふわギャングと、日本のアンダーグラウンドの歴史の積み重なりを感じさせるようなsugar plantのライヴを観ながら、そんなことを考えていた。

文章:磯部涼

*文中敬称略
*文中の発言は筆者の記憶に基づく
*ホレス・アンディ「ユニティ、ラヴ・アンド・ストレングス」の歌詞の和訳は< http://www.worldreggaenews.com/article.php?category_id=5&article_id=5108 >から引用

【りんご音楽祭オフィシャルフォトグラファーズ】
折井康弘/みやちとーる(ステキ工房)/平林岳志(grasshopper)/Takanori Tsukiji/丹澤由棋/古厩志帆/田中仁志/katsunori abe/渡邉和弘/齋藤暁経/岩倉尚敬/Takuya Inoue/Taro Denda/Daigo Yagishita”wooddy“/東玄太/堀川多貴雄(PineSnap)
http://ringofes.info/photo/history/

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